Translate

2011/12/27

「 年の瀬 」
























知りたいと思った 届きそうだと思った 見上げるばかりで

それっきりだった

どこかで安堵し 冷たい手を 胸にもどす











2011/12/20

「 Rotondo. 」


                                                                      うつわの糸底部分が好き。


2011/12/15

「 Valore. 」





物の形や機能よりも、
物が持つ背景や辿ってきた時間に関心がある人の話を聞いてから、
そういう目でもっと身の回りを眺められるようになりたいと思うようになった。


























それはちょうど自分自身でも、単に「 物 」の形と行動の関係を追っていくだけでは、
そろそろ飽きてきてしまったからなのかもしれない。


同じ時間に存在している物でも、それぞれが積み重ねてきた時間は違う。


買ったばかりの本、何年も着古した服、生まれる前からあるテーブル。


異なる時間を辿ってきた様々な物が、同じ空間に同時に存在している。
そういう、当たり前だけで見過ごしてきたことに気づかせられるようなものに不思議な貴重さを感じる。







2011/12/06

「 Rosso 」















紅葉 奈良 室生寺  

2011/11/25

「 Novembre. 」









汽車は高架を走り行き    思ひは陽ざしの影をさまよう。


静かに心を顧みて   満たさるなきに驚けり。

                     
                   萩原 朔太郎






2011/09/20

「 cielo. 」



心にもやもやがたまった時には自然と空を見上げてしまう。

引き戻してくれるのはすぐそばで呼ぶ声。           

引っ張る手。                            
                      





2011/09/13

「 mattino. 」








「  このうつろさの中で  光  溢れるように差し込む。 」












2011/09/11

「9.11に思う。 」



戦争に「善」も「悪」もありはしない。

一方的な「正義」はただの欺瞞だ。

同時テロで犠牲になった方々と同様に,誤爆や劣化ウラン弾などで殺された罪無き人々にも哀悼の意を捧げたい。

批判や疑問は必要だ。
しかし世界に、社会に向けてヒステリックに繰り返すのはもう充分だろう。
友人の言葉を借りるなら、今の世の中の現状は「非常事態」なんだ。

言葉は大切だ。
勇気や想いを届けてくれる。
しかし言葉に甘えていてはいけない。
自分を取り巻く世界に、もう一度目を凝らし耳を澄ませ大切なものを探し出す。

それは土の中にある。
吹き抜ける風の中にある。
そよめく草木にある。
葉をうつ雨粒にもある。
人の中にもある。

神様や仏様がいるのなら最後のチャンスを与えてもらっているのかもしれない。
岐路に立つ自分の足元にひかれたラインを踏み越える時なんだ。

必要なのは生きるための「感覚」と「 覚悟 」を持つことだと思う。




2011/09/04

「 Vento. 」








蝉の鳴く声が聞こえなくなった。



仕事に追われる日常の中で 忙しなく 9月がやってきて、

吹き抜ける風の中に秋の気配を感じた。



目を細め見上げた空には

ほんの少し 

輪郭のぼやけた入道雲が浮かんでいる。

「 収穫の続き 」




実りはまだまだ続いており、
お客さんや友人のカフェで使ってもらったりとあちこちで喜ばれています。

畑の様子を見に行くたびに美味しく色づいていたり、
数を実らせていたりして。


「生命は、生命にとって良い方にしか営まない。」

ある農家の方のTwitterで読んだ言葉です。


香草の類は収穫できないものがほとんどでした。
雑草に負けて枯れたり、虫に食べられたり......
.来年、また同じものを育てたとしても同じように収穫できるとも限らない。


たまたまが今回の畑仕事では功を奏したのなら、
次回は目的をもってうまく育つよう
手を貸す畑仕事をしてみようと考えています。




2011/08/21

「 収穫 」



先日、4月から始めた「 畑 」の収穫に向かいました。


忙しい仕事の合間を縫っての農作業だったので
「水は足りていただろうか?」
「虫に食べられてはいないか?」
など不安もありましたがなんとか収穫にいたりました。

植えていた規模が小さいものだったので収穫は少量とふんでいたのですが、思ったよりも大収穫。

トマト・茄子・伏見トウガラシ・エンドウ豆・スイカなど中には虫に食べられているのもありましたがまずまずの出来です。

その後、収穫を手伝ってくれた友人と場所を提供してくれたお客さんとバーベキューをすることに。
手に取った野菜たちがとてもかわいく見えましたが、
隣では早速「じゅ~」と香ばしい匂い。

「ちょっとは感慨にひたらせてよ」と思いながらも美味しい香りと収穫作業で疲れた体が食欲をそそらせています。

「かんぱーい」

ビールと共に焼いた伏見トウガラシ(篠山の畑だから篠山トウガラシかな)を食べます。

みんなの喜ぶ顔が
楽しい会話と笑い声が
日常の生活の中でたまった疲れをほぐしてくれるようです。


収穫の喜びと感謝に「ありがたいなぁ~」と1人つぶやくのでした。






2011/07/24

「 Estate. 」

















手に触れたくなるような 夏の空。


なにもかもがくっきりとしていて、思わず手を差し伸べる。












2011/07/11

「 ノオト 」


5月・大阪。


「小さな美しいノート展~祖父の部屋から~」

と言う個展を見たのが切っ掛けだった。
個性豊かなノートがフロアに飾られ、そのどれもが好奇心をそそられる。

「人は人生の特別の日にスポットライトをあててしまうけれど、祖父の毎日の積み重ねのノートの中に、そこに綴られた日々の暮らしに光をあてたいと思います。」

その言葉同様に、個性豊かなノート達と共に
作家さんのおじいさんの穏やかであたたかい空気を感じることのできる空間と、おじいさんの言葉が綴られたノート。
私の心を惹きつけるのに時間はさほどもかからなかった。

7月・京都。

ノートの作られている販売店と
カフェを兼ねたショップが京都にあることを知り、
電車を乗り継ぎ向かうことにした。


平年よりも13日も早い梅雨明けと共に照りつける夏の太陽が肌をさす。


地下鉄・鞍馬口駅から徒歩で5分ほど。
烏丸通を今出川方面へくだると、
「 lleno  リエノ 」が見えてくる。

古い民家を改装した店内にはもちろんノートが沢山。
嬉々として見て回る。


奥には製作所があり、数席ほどの落ち着いたcafeスペース。
2階に上がれば展示スペースになっている。



美味しいアイスのダージリン・ティー。
バックヤードから流れるクラシカルなインストロメンタル。


一緒に来ている髪の短くなった相方と帰る際、2冊のノートと数枚の便箋を買う。

ハードカバーのノート。
2人して宝物を手にした子供の表情をしていたのは間違いないだろうな。

「時を越えて綴る想い、それを静かに受け止め思い出に変えてくれるのがノートという文具の美しさだと思います」
店内が不思議なほど落ち着くのは心地よい紙の匂いがしていたからだろう。













2011/07/04

「隣人の優しさ」

「特別なことではありません」

穏やかな笑顔でその人は話してくれた。



「日本に旅行に来た。12日間の滞在だ。」と話す彼は台湾からの旅行客だった。

オーダーを伺ったところから会話の流れで彼が台湾人であることを知った。


今回の震災では台湾の方々には本当にお世話になっている。
そのことについてとても感謝していることを拙い英語で話しかけた。


台湾国内でもたくさんの人々が義援金活動をしていると彼は真面目な視線で語る。

彼自身は活動に参加することで、日本に興味を持ち今回の旅行をするきっかけになったんだとも話してくれた。


「隣人が困っているなら手を差し伸べるべきだ。言葉が通じないのなら耳を澄ませて伝えたい感情を少しでも理解しようとするだけさ。」

食事を終えた彼は穏やかな笑顔で席をたつ。


「特別なことではない」そう話した彼から差し伸べられた手を握る。

温かいその手に人間らしさを感じた。

2011/06/05

「梅雨の合間に汗を流す」

梅雨の中休みはムシっと暑い真夏日。
大阪から1時間半、電車に揺られながら畑に向かいました。

空に浮かぶ雲の輪郭がはっきりしていて、
夏の気配も色濃くなってきたよう。

畑に立つとやはり土と緑の匂いが濃い。

野菜の成長は早く、畑の周囲の雑草の成長もグングンととても元気だ。


草むしりにせいをだし、使っていない畝を耕しておく。

野菜の成長に若干の不安もあった。
だが、今となってはその不安も無くなった。

耕せば土壌が豊かであることがよくわかる。
ミミズや名前もわからない虫や幼虫。
草をむしればテントウムシや大きなクモや
花の周辺には蝶や蜂なんかも飛んでいる。

生物が沢山いることでこの畑がとても豊かなのが良くわかる。

これからは害を及ぼす虫や病気、
成長の早い雑草の処理にも気を付けて対処しないと。


「こりゃ大変だ....」と麦茶を飲む。

しかし収穫の喜びを想像すると、ニンマリと笑って頑張れるもんだ。

2011/05/28

「tramonto 」

夕日を見るのが好きだ。


子供の頃、夏になれば母が忙しい仕事の合間を縫って
兄妹3人を海水浴につれて行ってくれた。

残念ながら、よく行く海水浴場では沈む夕日は見れなかったけれど、
背後から差し込むオレンジ色の光線は私たちの帰る合図だった。

海水浴客の少なくなった海を見ながら母の買ってくれた
アイスクリームを頬張る。
防波堤に座った茶色く日焼けした背中。
話し声の静かになった妹達。
秋を呼ぶ空。
遠いさざ波。

思い出の中にいる自分は淡いオレンジ色の中にいた。


写真を整理していたら、どこで撮ったのかも憶えていない
1枚の夕日の写真が出てきた。

憶えていない記憶の代わりに懐かしい思い出が溢れてくる。


「あぁ....そうだった」

仕事に夢中になって夕日を見る機会が少なくなった。


古い1枚の写真。

2011/05/27

「germinazione」

晴れたある日。

「喫茶店は今日は休みにして畑を見に行こう。」


最近、梅雨入りした近畿地方は雨が続いて、
晴れ間を見たのが久しぶりだった。

日曜日だと後輩や友人たちと賑やかに集まる畑も
今日は一人で向かう。

晴れ間が見える空はきれいな青色。
その色合いには夏の気配が見え隠れしている。


畑は前日まで雨が続いていたせいだろう、濃い土の匂いがした。


見渡すと「あっ」とびっくりした。
エンドウ豆とオクラの種を蒔いていた畝に
柔らかい緑色の芽が出ている。

本番はこれからなのはわかっていても感動は抑えきれない。
畑を耕すことも、土に触れることも経験のない歳の離れた後輩達は
どんな反応をするだろう?


天気予報ではしばらく雨が続くらしく、水やりはそこそこにし、
畑の周りの草むしりと次の日曜日のために何も植えていない
更地を掘り返しておく。

汗をぬぐって休憩しながら家から持ってきた麦茶を飲む。

今日は一人だが、また次の日曜日には賑やかになる。

それはそれで楽しみだ。

2011/05/24

「新しい試み」

先日、大阪・地下鉄御堂筋線.西中島南方駅から
西へ徒歩5分ほどにある 『カフェ・タロー』さんにて
ワインの試飲会&勉強会を開催させていただきました。

今回のテーマは 『マリアージュ』

スパークリング・白ワイン・赤ワイン・デザートワインを各種数本を揃え、
飲み合わせ、食べ合わせを知ってもらいます。

小さなカフェに14人とぎっしり埋まった店内は和やかで、
参加された皆さんからワインに関する質問や楽しそうな会話から賑やかに飛び交います。

去年、好きがこうじてソムリエの資格を取得。
こんな形で自分の知識や、料理の技術が人を喜ばせることができるとは思いませんでした。

この機会が料理に関わる奥深さを再発見でき、ワインと食事・楽しい仲間と幸せな会話で
一つの繋がりができることに喜びを感じられる素敵なひと時になりました。

開催場所を提供していただいた 『カフェ・タロー』さん
本当にありがとうございました。

ワインはとても身近で、
ワインは野菜や果物と同じ「農作物」であることを
今後、伝えていこうと思います。

2011/04/04

「 深く関わる 」



「土や植物を相手にする仕事は、瞑想するのと同じように、
魂を解放し休養させてくれるのです。 - ヘルマン・ヘッセン -」




いつも良くしてくれるお客さんに

「荒れた畑を耕してみないか?」

と、誘われたのは2年前。

農作業と料理はもちろん切っても切り離せない関係で
いつかは深く関わってみたいとこの職業に就いたころからずっと思っていたことだった。

返事はもちろんOKの即答。
人から生まれる繋がりに本当に感謝したい。

兵庫・篠山

のどかな風景。


初めに手をつけたのは土壌を掘り起こし、雑草を取り除くところから。
掘り起こした土壌に堆肥を混ぜ、「畝」を作る。

花冷えするような寒い春。
しかし広い空は青く、鍬を握る手はジンジンと温かい。

心地よい痛み。

次に来るときは種を蒔こう。



何ができるかはお楽しみに。

「 primavera 」









春はコントラストが希薄に感じる。

霞がかった空気に花や温かい土の匂い。



心地よい風。
やさしい声。
時折、高く舞い上がる花。


「 妙なる音色  奏でる微風 」

2011/04/03

「Buona fortuna」















春をこんなにも待ちどうしく感じるのは初めてだ。


暖かくも淡い春が優しい空気を運んでくれますように。
流れる涙を温かく拭ってくれますように。

2011/03/06

「 Mano e Mano 」

                                                                
                                                                                                      
 「 手をつなぐことはキスをするよりも大切なことなんだよ 」


 いつも隣を歩くその人は真剣な顔で言った。


 「 じゃぁ キスは簡単? 」
 と、そのときの自分は冗談半分で
ちゃかした事を思い出す。

手はすごい。
何でも、できる。

きれいなことでも、汚いことでも。
やさしく髪をなでることも、

誰かを傷つけることも。

                             
感動に拍手をすることも、

温かくて美味しい料理を作ることも。

                            
手はすごい。


「 重要なことなんだよ 」

どこか得意げな横顔は遠くを見つめて少し笑っていた気がする。









2011/02/08

「 Domani 」



























「 明日はまだ失敗のない新しい日 」



子供の頃に見た「 赤毛のアン 」がいったこの言葉が大人になった今でも1番好きだ。

毎日が楽しみになる。








2011/02/04

「 節分 」




















少し寒さが和らいだ。


「 逆さまの世界みたい。 あそこに浮かんだ雲が家や島に見える 」


助手席に座る歳の離れた妹の 少しかすれた声。


地上と空の境。   


その手に掴めそうなほどに。
遠く離れていることに気づけないほどに。


日も少しずつ長くなってきた。
見上げたその高い空にも春の気配が少しづつ近づいてくる。


なんだか もったいないような気がした。

2011/02/01

「 陽光 」

「 愛ってなに?」って聴かれたら、「 こんなふうに歌った人がいるよ 」って教えたい。




John Lennon が亡くなって30年が経った去年、

遠くに住む友人がこう話してくれた。



そんな友人がある日、


「 結婚する 」と告げた。


突然の告白には驚いた。



「 かすかな声に耳をすませていたい 」

        
彼の言葉はひとつひとつ印象深い。



「 陽光 」と題の付いた写真。

密度や質感が伝わってくるようで好きだ。



「 愛ってなに?」って聴かれたら、「 こんなふうに歌った人がいるよ 」



そう彼は教えるんだろうな。










2011/01/28

「 Serata 」

日が沈むまでの夕暮れ近く
空の色が淡く変わり始め
西の空が茜に色づくころ。


    Serata.


10数年ぶりの長い休暇中には美味しいコーヒーが
飲みたくてたくさんのお店に行きました。

16:00~18:00

冬の短い夕方にまどろむ時間 Ralph Towner の奏でる静かなギター。

ふぅ.. と、細い息をはく。



美味しいコーヒーを淹れるための発見やよろこびを見つけるいい休暇になりました。







2011/01/27

「 Legare 」


イタリア語で  「 繋ぐ・結ぶ 」 という意味を持ちます。

出会いに感謝しない日は無い。

やるべき日頃の最低限の事もうっちゃらけて、現実から逃避行なんてよくある自分の悪い所を
ちゃんとした位置に戻してくれる人がいる。


いつもそばに居てくれる大切な人


遠くに住む友人


家族


oitoで出会った人たち


マイペースを理由に開き直るのはよくないなぁ 
なんて少し反省しています。


ゆっくり  そして  じんわりじんわり 


嬉しくなるような出会いがありますように。。